大阪建築探訪「難波橋」
通称「ライオン橋」として親しまれていることからもわかるように、難波橋の一番の見どころは親柱に鎮座する4基のライオン像。
狛犬と同じ「阿吽」を象っているのが特徴だが、写真とは反対側にある2基は頭上を走る阪神高速が雨風をしのぐ屋根となるからか、そちらのほうが彫りが深い。京阪・北浜駅2番出口で出迎えるライオンを見慣れている身としては、改めて見るその横顔に少し新鮮な思いがしたが、私にとってのライオンはやっぱり彼の方だ。
建設当時、市内にある橋のほとんどは地元商人の手で作られた町橋だった一方で、難波橋は数少ない公儀橋であった。
欄干に埋め込まれた市章の澪標(みおつくし)からも、そのことが読み取れよう。
ちなみに、大阪弁では「なんにゃばし」と発音する(らしい)。
夜のとばりが降りる頃。
橋の上では帰路を急ぐ人々や宴席に華やぐ人の往来が始まり、辺りは俄かに活気付く。
川辺特有の水分を多く含んだ風が時折強く吹き、道路灯がオレンジに色付き始めると瞬く間に空気中の青みがどんどん濃くなる。
その間にも街明かりは数を増し、陽がとっぷり落ちてからようやく橋上灯が点灯するのだが、この時間だけに見られる、滲んだり煌めいたりする難波橋一帯の光景が個人的に気に入っている。
そんな刹那の美しい時間には美しい名前があり、「ブルー・アワー」と呼ばれるそうだ。
かつて、「浪花の三大橋」とも称された難波橋は、遠景に生駒山を望む風光明媚な行楽地として、月見の舟遊びや夕涼み客で大いに賑わっていたという。
橋の上から暮れなずむ街を眺めていると、この地の不思議な時間の流れ方はきっと昔も今も変わらないのだろうなと思う。
◆大正4年(1915年)