SNSの利用者心理と自己実現。「ネット浦島太郎」だった私がブログを始めた理由
このブログの1回目の投稿、つまり今日(昨日?)の夜中まで、
私は過去5年以上にわたって、個別の連絡をとる以外でのSNS利用を断っていた。
それはなぜか。
陳腐な理由ではあるが、他人の現況や充実した暮らしぶりを見て一喜一憂する自分につかれてしまったからだ。
インスタグラムをはじめとする多くの写真投稿型SNSは、言うまでもなくその人の交友関係や生活を如実に映す。
結婚報告に出産報告、手の込んだお洒落な食卓など、巧みに彩られた他人の「日常」がひっきりなしに目に飛び込んでくる。
あるとき、それらを見ている自分の心に少しずつ陰りが出てきたことに気づいた。
その気持ちの根底にあるのは嫉妬か、羨望か。
あるいは、写真からにじみ出る「自己顕示欲」を冷ややかな目で見てしまう自分の器の小ささに対する自己嫌悪かもしれない。
そんななか、もやもやとした気持ちを抱えるぐらいならいっそのことやめてしまおうとなり、いったん手放してみると気楽なもので、あっという間に5年が経った。
もちろんその間、人との交流がゼロだったわけでもない。
仲の良い友達とは定期的に遊ぶし、生活は「SNS断ち」以前となんら変わるものはなかった。
SNSの利用者心理について客観的に考えてみる
そもそも、SNSが今こうして爆発的に普及している理由としては、ネット環境の飛躍的な発達、そして「スマホ」という情報発信ツールが「一人に1台」という確固たる地位にまで上り詰めたことが一番の理由だろう。
しかも、もれなくカメラ付きというチートである。
パソコンの時には言っても家庭に一つとか二つだったものが、今や一人1台が当たり前で、電車の中でも、家を出る5分前でも、お風呂の中でも、あらゆる情報を受発信できるようになったのだからこれは、改めて考えるとなかなか大きな発展だ。
以上がハード面の理由だとしたら、ソフト面の理由は以下のことが考えられる。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱する「マズローの欲求5段階説」によると、人間の欲求はピラミッドのように5段階で構成されており、低階層の食欲・睡眠欲などの「生理的欲求」や、集団への帰属を求める「社会的欲求」が満たされると、より高次の欲求を欲するようになるのだとか。
その、次なる高次の欲求は、
「他者から認められたい」
「尊敬されたい」
「注目を集めたい」
というもの。つまり「承認欲求」である。
これが満たされると最終的に芽生える、欲求のピラミッドの頂上が
「自分の能力を生かして創造的な活動がしたい」という「自己実現欲求」なのだ。
以上のことから考えると、youtuberの存在や、「インス〇映え~」なんかはまさに好例といえるのではないだろうか。
十分な生活水準の中で暮らし、あらゆる情報発信手段を手にした現代人が、さらに高次の満足を求めるのは、きわめて自然なことなのだ。
人間の基本欲求を自分の仕事内で実現できる人はほんの一握り
私は、もともと、やたらと自己顕示欲の高い人間が苦手だ。
これだけ個人の情報発信力が社会的に認められている現代においても、やっぱり一部のyoutuberや、本来の性質や価値をぶっ飛ばして審美的価値、いわゆる「インス〇映え~」にしか興味のない頭すっからかん野郎には正直虫唾が走る。
でも、「私、こんなのが好きなんだ!」とか「俺の隠れた才能みてみろよ!」と思ったところで、それを世間に一般公開できるだけの職種、あるいは立場にある人って、たぶんほとんどいない。
そこでネットだ。
ネットの一個人レベルまでの普及により、他人評価を得る間口が飛躍的に広がったことで、自己の尊厳を満たしたり、自身のスキルを新たなビジネスチャンスにつなげることができるのがこの2019年。誰しもが表現者になりうる時代。
これまでの私のSNSアレルギーは単なる主観としての「好き嫌い」問題だし、いまやむしろ私のような人種の方が社会的にダサい。たぶん。いや、絶対。
みんな、上記の事情や目に付く輩の存在も全部まるっと許容したうえで、
「ひとのおすすめするものはやっぱりいいよね」
「幸せなひとを見てると自分も幸せになる」
という口コミの圧倒的バリュー、あるいはプラスの共感に重きを置いて生きているのに、このままでは私は現状維持、いや、退化の一途をたどるに違いない・・・!
これでも私も、一端の物書きみたいなことをやっているのだが、
世の中の大多数の人がそうであるように、私自身、書きたいテーマだけ書いていられる環境ではない。やりたいことだってたくさんある。でも、現実そうはいかない。だってそういう社会なんですもの。
だから私も、誰が見てくれているかわからないネット宇宙のはじっこで、
ぽつぽつ文章を生産していこうかなと思うようになったわけです。
そんな、ひねくれで、口下手なくせに言いたいことだけは山ほどある
こんな私「紙」ですが、どうぞよろしくお願いいたします。